マンドリンの歴史
マンドリンの歴史
2024/03/05
【ご注意】このブログはVIDEO-GOISのスタッフに向けて、クラシック音楽に親しんでもらい、作品のスキルアップを目指してもらうことを目的として開始されました。そのストックを公開しているもので、表現や内容、考え方について専門的なものではございませんのであらかじめご了承ください。
マンドリンの歴史は古くて古代ペルシャ時代まで遡るんだよ。マンドリンの元となったバルバットと呼ばれていた楽器がシルクロードを通って西へ伝わり、リュートという楽器に変わっていくんだ。更に時代が進み、1620年にイタリア・ヴェネツィアのパロッキ(Parocchia)によって、リュートから進化したマンドラ(マンドリンよりもオクターブ低い楽器)を小型化して作成した楽器がマンドリンなんだって。
さて、このバルバットというものは、古代ペルシャの楽器で、ボディーの裏側が丸まっていて、ほとんどマンドリンと同じ形をしているんだよ。興味深いのは西へわたってマンドリンとなり、実は東にも伝わっていて、これが日本にわたり琵琶という楽器になるんだ。だから、マンドリンと琵琶は血のつながった親類関係にあるようなもんなんだ。これは調べていてクリビツテンギョウでした。
マンドリンの話しに戻りますが、要するにマンドリンはイタリア生まれということやね。ただ、初期のマンドリンは6コースの弦(12弦)でバロックマンドリンと呼ばれています。19世紀になって楽器の改良が行われ、今の4コースの形になったんだって。これをナポリ型と呼ぶんだよ。これ以降このナポリ型がマンドリンの主流となるんだ。
19世紀から20世紀にかけてイタリア王国の2番目の王様になったウンベルト1世の奥さんになったマルゲリータがマンドリンの愛好者で、これをきっかけにイタリア中で熱病のようにマンドリンが大流行したんだよ。そのおかげで、マンドリンの曲もたくさん作られ、マンドリンを演奏する有名な演奏家も多く現れたそうだよ。しかし、その後行われた第二次世界大戦でイタリアが敗北するとマンドリンの流行も消えてしまったんだ。
とはいえ、昨日のコラムにも書きましたが、アメリカや様々な国でマンドリンは地域に根ざした民族音楽として活躍することが多く、手軽に演奏できることからも世界中に愛好家が広まっていきました。
日本には明治時代の後半に入ってきたと言われており、大正の終わり頃にイタリアのマンドリン奏者の第一人者であるラファエレ・カラーチェが来日し、全国でコンサートを開催したことから、日本でマンドリンを演奏する人が増え始め、今では発祥のイタリアを超えるほどのマンドリンを愛好する人が増えました。その数は20万人とも言われています。
さて、このバルバットというものは、古代ペルシャの楽器で、ボディーの裏側が丸まっていて、ほとんどマンドリンと同じ形をしているんだよ。興味深いのは西へわたってマンドリンとなり、実は東にも伝わっていて、これが日本にわたり琵琶という楽器になるんだ。だから、マンドリンと琵琶は血のつながった親類関係にあるようなもんなんだ。これは調べていてクリビツテンギョウでした。
マンドリンの話しに戻りますが、要するにマンドリンはイタリア生まれということやね。ただ、初期のマンドリンは6コースの弦(12弦)でバロックマンドリンと呼ばれています。19世紀になって楽器の改良が行われ、今の4コースの形になったんだって。これをナポリ型と呼ぶんだよ。これ以降このナポリ型がマンドリンの主流となるんだ。
19世紀から20世紀にかけてイタリア王国の2番目の王様になったウンベルト1世の奥さんになったマルゲリータがマンドリンの愛好者で、これをきっかけにイタリア中で熱病のようにマンドリンが大流行したんだよ。そのおかげで、マンドリンの曲もたくさん作られ、マンドリンを演奏する有名な演奏家も多く現れたそうだよ。しかし、その後行われた第二次世界大戦でイタリアが敗北するとマンドリンの流行も消えてしまったんだ。
とはいえ、昨日のコラムにも書きましたが、アメリカや様々な国でマンドリンは地域に根ざした民族音楽として活躍することが多く、手軽に演奏できることからも世界中に愛好家が広まっていきました。
日本には明治時代の後半に入ってきたと言われており、大正の終わり頃にイタリアのマンドリン奏者の第一人者であるラファエレ・カラーチェが来日し、全国でコンサートを開催したことから、日本でマンドリンを演奏する人が増え始め、今では発祥のイタリアを超えるほどのマンドリンを愛好する人が増えました。その数は20万人とも言われています。