スターリン死後の雪解け

スターリン死後の雪解け

スターリン死後の雪解け

2024/03/01
【ご注意】このブログはVIDEO-GOISのスタッフに向けて、クラシック音楽に親しんでもらい、作品のスキルアップを目指してもらうことを目的として開始されました。そのストックを公開しているもので、表現や内容、考え方について専門的なものではございませんのであらかじめご了承ください。


1953年にスターリンが死ぬとソ連は再び混乱期に突入する。しかし、フルシチョフによって行われた「スターリン批判」によってスターリンの独裁体制は名実ともに崩れさることになるんだよ。そのおかげで、ショスタコーヴィチは反体制と受け取られかねない書きかけの曲を次々と発表していくことになるんだ。

1950年代も終わり近くになると、ソヴィエトの社会主義体制も次第に軟化しはじめ、アメリカとも協調姿勢をとるようになってゆく「雪どけ」といわれるこの時期、ショスタコーヴィチが発表を控えていた交響曲第4番などの作品が数十年ぶりに「初演」されることになるんだ。

あと、プラウダ批判で当局からショスタコーヴィチが個人批判され、友人や親族が粛清されるきっかけとなった、歌劇『ムツェンスク郡のマクベス夫人』はそのままの形での上演はできなかっったのだが、刺激的な部分を変更するなどして改訂された『カテリーナ・イズマイロヴァ』と名前を変えて、再上演が許される状態にまでなった。
この曲に関しては、『ムツェンスク郡のマクベス夫人』と『カテリーナ・イズマイロヴァ』は別の曲だという専門家も多い。新たに書かれた最初の部分の間奏曲などでは『ムツェンスク郡のマクベス夫人』よりも優れた音楽的効果を発揮しており、歌詞も旧版の卑俗な言葉遣いが上品で刺激の少ない表現に書き換えられている。なお、演奏時間はほぼ旧版と同じであるが、最近は別物だという説が一般的になっているんだよ。聴き比べてみるとおもしろいかもね。

政治的な雪解けは、この後キューバへのミサイル配備計画がアメリカに非難されたのをきっかけに「雪どけ」体制は解体され、冷戦の時代に突入するが、ショスタコーヴィチ自身の生活は安定し数々の栄誉に包まれるなど、音楽活動を続ける環境はスターリン時代と比べ格段に恵まれていたんだよ。相変わらず体制に迎合した作品もあるが、作風も哲学風で研ぎ澄まされた独特の透明感の強い作品が多く作られているんだよ。

1975年、ショスタコーヴィチは肺がんで世を去ったんだ。
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