番外編「指揮者:エフゲニー・ムラヴィンスキー」

番外編「指揮者:エフゲニー・ムラヴィンスキー」

番外編「指揮者:エフゲニー・ムラヴィンスキー」

2024/02/28
【ご注意】このブログはVIDEO-GOISのスタッフに向けて、クラシック音楽に親しんでもらい、作品のスキルアップを目指してもらうことを目的として開始されました。そのストックを公開しているもので、表現や内容、考え方について専門的なものではございませんのであらかじめご了承ください。


エフゲニー・アレクサンドロヴィチ・ムラヴィンスキーはロシアの指揮者で、1903年生まれで84歳まで生きたんだよ。
ムラヴィンスキーもショスタコーヴィチと同じくソ連の社会リアリズムに翻弄された芸術家で、裕福な家庭で育っていたんだけど、ロシア革命で一家の財産が没収されてしまい、アパート一室の雑居生活に追いやられてしまう経験があるんだ。

だから、生涯を通じて旧ソビエト指導部に対して強い疑念と反感を持ち続け、ソビエト共産党員になることはなかったんだ。
ソビエト共産党政府がスターリン批判をした作家への弾劾決議文を文化人に求めた際、当局の強硬な姿勢にショスタコーヴィチらは嫌々署名したが、ムラヴィンスキーは彼は署名を拒否した。また、外国からの楽器購入の際「なぜ母国の楽器を買わないのか」と政府に追及されたが、「良い演奏をするためには外国産でないとダメだ」と突っぱねているんだって。

他にも、ニューヨーク公演でレニングラード・フィルの団員が亡命騒ぎを起こした時、「君の楽団の団員が逃げたのは君の監督不行き届きではないか」と糾弾する党政府に対し、ムラヴィンスキーは決然と「(私の楽団から逃げたのではなく)あなたの党から逃げたのだ」と言い放つなど、ソビエト共産党政府に対して剛直な姿勢を取り続けた。共産党政府側も、ムラヴィンスキーの国際的な名声もあって迂闊に手が出せなかったよ。

レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者を50年間努めているが、練習がめちゃくちゃ厳しくて、この超一流の桶に対しても妥協しない完全主義を徹底したんだ。だからリハーサルの時間が長くなり、就任当初は楽団員の猛烈な反発を招いたが、ムラヴィンスキーは決して妥協せず、オーケストラのレベルを世界のトップレベルにまで向上させていったんだよ。

日本には何度か来日していて、最初は「芸術レベルの低い日本になんかなぜ行かなきゃならないんだ?」といってたらしいんだけど、日本のおもてなしで、彼はすっかり日本大好きになってしまい、文化、習慣をはじめカレーライスや餃子を食べるまでに至り、遂には「はじめ、文化果てる国に行くのだと思ったが、来日したら、ロシアのほうが最果てだと思った」とのコメントを残しているほどなんだよ。

どうも録音はいくつか残されているらしいので、いつか聞いてみたいと思っているけど、ショスタコーヴィチの事を色々調べていくと、こういった興味深い人にもぶつかってなんとも面白い。
Copyright © 2012 - 2025 GOIS Inc. All Rights Reserved.