社会から追いやられてしまうショスタコーヴィチ

社会から追いやられてしまうショスタコーヴィチ

社会から追いやられてしまうショスタコーヴィチ

2024/02/16
【ご注意】このブログはVIDEO-GOISのスタッフに向けて、クラシック音楽に親しんでもらい、作品のスキルアップを目指してもらうことを目的として開始されました。そのストックを公開しているもので、表現や内容、考え方について専門的なものではございませんのであらかじめご了承ください。


恋多きショスタコーヴィチだが、1回目の結婚では妻に歌劇を献呈しているんだよ。これが大衆にも大ウケの出世作で、順風満帆の用に思えたが、4年後にはソ連共産党中央委員会機関紙『プラウダ』の社説で批判されてしまう。これが「プラウダ批判」というものなのだが、この頃の共産党中央委員会執行部は、スターリン体制を確立するため、芸術も国家体制維持のために利用しようと考えていた。ソ連の作曲家には、「内容において社会主義的、形式において民族主義的」のスローガンの元、社会主義国家に役立つ音楽作りが求められたんだ。

当時ソ連を代表する作曲家だったショスタコーヴィチは、それに反する西洋モダニズムの影響を受けた楽曲を数多く作っていたんだよ。特に大衆の間で大ヒットしていた『ムツェンスク郡のマクベス夫人』は、不倫を題材にしたオペラであり、社会主義に役立つには程遠かった。

そのため、当局にとってはモダニズム作曲家ショスタコーヴィチの存在は邪魔だった。当局はモダニズム作曲家の多くをシベリアに送る粛清措置をとっていたが、世界的に有名だったショスタコーヴィチには当該処置をとることができなかった。しかし、ショスタコーヴィチが政治色の乏しい歌劇で大衆の心を掴んでいる状況に当局は危機感を覚え、『プラウダ』の社説を用いて失脚を図ることにした。

この『プラウダ』社説はスターリンの意思を反映したものと捉えられて、ショスタコーヴィチの作品は『ムツェンスク郡のマクベス夫人』はもちろんのこと、ほとんどの作品が上演されなくなった。
一緒に粛清されるのを恐れ、共に行動する者もいなくなったんだよ。

ショスタコーヴィチ自身も、モダニズム色の強い交響曲第4番の初演を自身の意思でとりやめている。

そして名誉を挽回するためにあの有名な交響曲第5番「革命」を作ることになるんだよ。
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