作曲家かピアニストか?悩むショスタコーヴィチ

作曲家かピアニストか?悩むショスタコーヴィチ

作曲家かピアニストか?悩むショスタコーヴィチ

2024/02/13
【ご注意】このブログはVIDEO-GOISのスタッフに向けて、クラシック音楽に親しんでもらい、作品のスキルアップを目指してもらうことを目的として開始されました。そのストックを公開しているもので、表現や内容、考え方について専門的なものではございませんのであらかじめご了承ください。


さて、学校を卒業してからの彼は、ピアノ演奏のアルバイトをこなしながらなんとか生活しているという状態で、作曲活動に関してはスランプ状態。
しかしその後転機が訪れます。彼が19歳のときに作曲した「交響曲第1番」が大成功を収めるのです。そしてカーテンコールで作曲者が紹介されると、この曲を作曲したのが若干19歳の若者だったことに聴衆は驚き、彼はたちまち時の人となったわけです。

しかし、ショスタコーヴィチはこの頃作曲家とピアニストどちらになるか決めかねていたんです。たぶん彼は作曲家になりたい気もちが強かったんだと思うけど、この交響曲第1番を作曲したあと作曲したバレエ音楽は3作続けて不発。まあ、一発屋みたいな感じになってしまったんだよね。

実は、この頃のショスタコーヴィチは、世の中が音楽を政治的利用されていることに反感をもっており、それを批判して作曲をしていたんだ。ただ、政治的なことだけでもなく、彼は西欧モダニズムといって、西欧各国の新しい芸術に大変興味を持っていて、現代音楽の手法などをかなり研究していたんだ。
これはこの頃のソ連の社会リアリズムには到底受け入れられないことだったんだよね。

実際、前述したバレエ3作品だけど、公演は失敗しているけど、音楽的には高い評価を得ているんだよ。
彼は、持ち前の天才素質を、社会の中で隠していかなくてはならなかったんだよね。

因みに彼はピアニストとしてもかなりのテクニックを持っているようで、彼が21歳のときに、第1回ショパンコンクールにソ連代表の一人として出場して入選を果たしているんだよ。すごいね。
Copyright © 2012 - 2025 GOIS Inc. All Rights Reserved.