社会リアリズムの中でのショスタコーヴィチ
社会リアリズムの中でのショスタコーヴィチ
2024/02/02
【ご注意】このブログはVIDEO-GOISのスタッフに向けて、クラシック音楽に親しんでもらい、作品のスキルアップを目指してもらうことを目的として開始されました。そのストックを公開しているもので、表現や内容、考え方について専門的なものではございませんのであらかじめご了承ください。
ショスタコーヴィチは長い間、「社会リアリズム」の第一線に立っていた芸術家としてのイメージが強かったのですが、後世になってその説がだんだん変化していきます。というのは、この頃の芸術家の考えや思想を反映した文献が殆ど残されていなくてはっきりしないんだ。
と言うのは、この時代のソ連は厳しい社会主義的イデオロギーの中、自分自身のソ連社会における存在を、オーサライズ(正当化)して、公的承認を受け続ける必要があったんだよ。これをやらないとすぐに粛清されてしまうからね。
それは、資本主義社会において消費者の欲求を満たしていくのとは別次元の状態で、社会主義国では特定の団体、いわゆる社会主義を動かしている政府関係者に好かれていないと行けないという状態なんだよ。
つまり、自身のイデオロギーよりも、党の考え方に沿った活動をしていかないと、反逆罪などで粛清されてしまうんだ。これから紹介していくけど、ショスタコーヴィチの人生は、この粛清恐怖との戦いだったんだよ。
因みに革命以前の作曲家例えばプロコフィエフなんかは、さっさと海外に亡命しているけど、革命後に育ったショスタコーヴィチは生涯ソビエトに残り、ソビエトの中で活動していくんだけど、党に好かれたり突き放されたりと不安定な活動を生涯に渡って行っていくんだよね。
彼はソ連を代表する作曲家としてメディアに度々登場しているんだけど、その中で彼が語っていた事はショスタコーヴィチの本心ではなく、単に公的な立場を表明したにすぎないと言われているんだよ。これはどうゆうことかというと、社会主義の中で自分は社会リアリズムをちゃんと傾倒しているよということをメディアを通じて表明していたんだ。
それを物語っているのが、1917年にレーニンが逃亡先の外国から帰国した際に、フィンランド駅に出迎えた人々の中に自分もいた!とよく語っている。だけどこの節はどうもショスタコーヴィチの創作という説が多く発表されている。この頃のショスタコーヴィチは当時まだ10歳で以前書いたけど商業高校に通っていた頃で、この頃はあちこちで銃撃などが行われていて大変危険な状態。そんな状態で両親が子どもだけで出かけさせるなんて考えられないという説が多いんだよ。
それでもソ連の中で生き抜くためには、話を創作してでも社会リアリズムに寄っているという意思表示をしていくことが重要なんだよ。
このことが彼の作品に深く関わっているんだよ。
※参考文献:総合文化研究所年報 第18号(2011)梅津紀雄「ショスタコーヴィチとロシア革命」より
と言うのは、この時代のソ連は厳しい社会主義的イデオロギーの中、自分自身のソ連社会における存在を、オーサライズ(正当化)して、公的承認を受け続ける必要があったんだよ。これをやらないとすぐに粛清されてしまうからね。
それは、資本主義社会において消費者の欲求を満たしていくのとは別次元の状態で、社会主義国では特定の団体、いわゆる社会主義を動かしている政府関係者に好かれていないと行けないという状態なんだよ。
つまり、自身のイデオロギーよりも、党の考え方に沿った活動をしていかないと、反逆罪などで粛清されてしまうんだ。これから紹介していくけど、ショスタコーヴィチの人生は、この粛清恐怖との戦いだったんだよ。
因みに革命以前の作曲家例えばプロコフィエフなんかは、さっさと海外に亡命しているけど、革命後に育ったショスタコーヴィチは生涯ソビエトに残り、ソビエトの中で活動していくんだけど、党に好かれたり突き放されたりと不安定な活動を生涯に渡って行っていくんだよね。
彼はソ連を代表する作曲家としてメディアに度々登場しているんだけど、その中で彼が語っていた事はショスタコーヴィチの本心ではなく、単に公的な立場を表明したにすぎないと言われているんだよ。これはどうゆうことかというと、社会主義の中で自分は社会リアリズムをちゃんと傾倒しているよということをメディアを通じて表明していたんだ。
それを物語っているのが、1917年にレーニンが逃亡先の外国から帰国した際に、フィンランド駅に出迎えた人々の中に自分もいた!とよく語っている。だけどこの節はどうもショスタコーヴィチの創作という説が多く発表されている。この頃のショスタコーヴィチは当時まだ10歳で以前書いたけど商業高校に通っていた頃で、この頃はあちこちで銃撃などが行われていて大変危険な状態。そんな状態で両親が子どもだけで出かけさせるなんて考えられないという説が多いんだよ。
それでもソ連の中で生き抜くためには、話を創作してでも社会リアリズムに寄っているという意思表示をしていくことが重要なんだよ。
このことが彼の作品に深く関わっているんだよ。
※参考文献:総合文化研究所年報 第18号(2011)梅津紀雄「ショスタコーヴィチとロシア革命」より