アメリカに渡ったドボルザーク

アメリカに渡ったドボルザーク

アメリカに渡ったドボルザーク

2023/12/13
【ご注意】このブログはVIDEO-GOISのスタッフに向けて、クラシック音楽に親しんでもらい、作品のスキルアップを目指してもらうことを目的として開始されました。そのストックを公開しているもので、表現や内容、考え方について専門的なものではございませんのであらかじめご了承ください。


1891年の春、ニューヨーク・ナショナル音楽院の創立者・理事長ジャネット・サーバーからドヴォルザークに音楽院院長職への就任依頼が届いたんだけど、最初は断っていたんだよね。でも結局昨日も書いたたオタク事情は置いといて、サーバーさんからの熱心な説得で超高額な報酬で受けることになったんだって。

この頃のアメリカは、コロンブスがアメリカ大陸を発見して約400年(コロンブスはアメリカ大陸ではない別の島に着いたんだけどね)、音楽ではまだまだ新興国で、音楽文化を育成するためにドボルザークが呼ばれたんだよ。

アメリカでのドボルザークの名声は当然届いていて、アメリカの人たちは熱烈な歓迎をしたらしいよ。
ドボルザークもニューヨークに着いたときに大都会ぶりに、まるでロンドンのようだと驚いたそうだ。

そんな期待値MAXのドボルザークだけど、実はあまり当初期待されていた育成という部分については成果は得られなかったんだよね。それはナショナル音楽院のレベルが低かったことと、ドボルザークはあちこちで引っ張りだこで、あまり教鞭を振るう時間が確保できなかったんだって。

それでもアメリカにおける音楽にはものすごい影響を与え、アメリカ滞在中に交響曲第9番「新世界より」、弦楽四重奏曲第12番「アメリカ」、チェロ協奏曲などといった、名曲を生み出すことになる。

その後、世界恐慌の影響で、音楽院のパトロンであったサーバーさんの会社も倒産寸前に陥り、ドボルザークへの支払いが遅延するなどして、結局渡米後4年でアメリカを離れることになるんだよ。

ドボルザーク:弦楽四重奏曲第12番「アメリカ」
https://www.youtube.com/watch?v=pV-kbAydcwk
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